孫策(そんさく)の江東(こうとう)平定の前半戦。袁術(えんじゅつ)の下を離れた孫策(そんさく)が劉繇(りゅうよう)を破り、呉郡太守(ごぐんたいしゅ)・許貢(きょこう)を逃亡させるまでについてまとめています。
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【042】徐州太守・陶謙が亡くなり、劉備が仮に徐州を預かる
呂布(りょふ)らが兗州(えんしゅう)で反乱を起こしたことにより、徐州(じょしゅう)侵攻を断念して引き返した曹操(そうそう)ですが、兗州(えんしゅう)の奪還に手間取っていました。その頃徐州(じょしゅう)では…。
【039】兗州の反乱に曹操は兵を退き、劉備が小沛に駐屯する
曹操(そうそう)軍の来襲に、青州(せいしゅう)・北海国(ほっかいこく)の孔融(こうゆう)に援軍を求めた陶謙(とうけん)ですが、北海国(ほっかいこく)でも反乱が起こり、陶謙(とうけん)を救援する余裕はなくなってしまいました・・・
【038】黄巾残党・管亥の反乱。太史慈と劉備3兄弟が孔融を救う
陶謙(とうけん)配下の張闓(ちょうがい)が曹操(そうそうの父・曹嵩(そうすう)を殺害したことによって、曹操(そうそう軍の包囲を受けた陶謙(とうけん)は、青州(せいしゅう)の孔融(こうゆう)と田楷(でんかい)に援軍を要請し・・・
【三国志年表詳細】193年の主な出来事と三国志群雄勢力図
193年【漢:初平(しょへい)4年】に起こった主な出来事をまとめ、それをもとに群雄勢力図を作成しました。人員配置は前年から変更が記されていない官職と、新たに確認できた官職のみ記載しています。