建安(けんあん)2年(197年)夏、朝廷(曹操(そうそう))が呂布(りょふ)・陳瑀(ちんう)・孫策(そんさく)らに降(くだ)した袁術(えんじゅつ)討伐の詔勅(しょうちょく)に端を発した、陳瑀(ちんう)と孫策(そんさく)の・・・
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袁術の皇帝僭称。陳珪・陳登父子の暗躍による袁術と呂布の戦い
袁術(えんじゅつ)の天子(てんし)(皇帝(こうてい))僭称(せんしょう)と、陳珪(ちんけい)・陳登(ちんとう)父子の暗躍により始まった袁術(えんじゅつ)と呂布(りょふ)の戦いについてまとめています。
【三国志年表詳細】196年の主な出来事と三国志群雄勢力図
196年【漢:建安(けんあん)元年】に起こった主な出来事をまとめ、それをもとに群雄勢力図を作成しました。人員配置は前年から変更が記されていない官職と、新たに確認できた官職のみ記載しています。
【044】曹操が呂布を破って兗州を奪還する
兗州(えんしゅう)で反乱を起こした呂布(りょふ)に手を焼いていた曹操(そうそう)ですが、豫州(よしゅう)(予州(よしゅう))の黄巾賊を平定して体勢を立て直すと、再度兗州(えんしゅう)奪還のために侵攻を開始します。