建安(けんあん)8年(203年)の孫権(そんけん)による黄祖(こうそ)討伐と、豫章郡(よしょうぐん)(予章郡(よしょうぐん))と会稽郡(かいけいぐん)で起こった反乱の鎮圧についてまとめています。
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【三国志年表詳細】199年の主な出来事と三国志群雄勢力図
199年【漢:建安(けんあん)4年】に起こった主な出来事をまとめ、それをもとに群雄勢力図を作成しました。人員配置は前年から変更が記されていない官職と、新たに確認できた官職のみ記載しています。
【027】逆襲の孫堅!袁術の陰謀と劉表を攻めた孫堅の怒濤の快進撃
公孫瓚(こうそんさん)との講和が成立したことで袁紹(えんしょう)は、韓馥(かんふく)をだまして手に入れた冀州(きしゅう)をようやく我がものにすることができました。これを見た袁術(えんじゅつ)は袁紹(えんしょう)に援助を求・・・
「孫堅伝」華雄を討ったのは俺だ!忠義心に厚い反董卓連合一の功労者
呉(ご)の孫策(そんさく)、孫権(そんけん)の父親として知られる孫堅(そんけん)。『三国志演義』では敗戦続きであっけなく戦死してしまう孫堅(そんけん)ですが、実は反董卓(とうたく)連合の中で一番活躍していました。