袁紹(えんしょう)たちによる宦官一掃を受けて、少帝(しょうてい)と陳留王(ちんりゅうおう)は宦官たちに連れられて洛陽(らくよう)を脱出してしまいました。 そして、少帝(しょうてい)と陳留王(ちんりゅうおう)を保護して洛陽・・・
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なぜ何進は董卓を洛陽に呼び寄せたのか?霊帝の崩御と朝廷の混乱
189年4月に霊帝(れいてい)が崩御がすると、大将軍(だいしょうぐん)・何進(かしん)は宦官を一掃するために、袁紹(えんしょう)と謀って諸豪族を召集しました。では、なぜ何進(かしん)は諸豪族を召集する必要があったのでしょ・・・
【010】黄巾の乱以後も続く各地の反乱と十常侍たちの暗躍
黄巾賊の討伐で活躍した功績によって安熹県(あんきけん)の県尉(けんい)に任命された劉備(りゅうび)ですが、張飛(ちょうひ)が督郵(とくゆう)をムチ打ったことによって逃亡者になってしまいました。 そして、お話の舞台は黄巾の・・・
益州の反乱「馬相の乱」、入蜀した劉焉の野望と五斗米道
188年に鎮圧された益州の黄巾賊の反乱「馬相(ばしょう)の乱」と、自(みずか)ら提案した州牧(しゅうぼく)として益州(えきしゅう)に入った劉焉(りゅうえん)の野望、漢中(かんちゅう)に独立勢力を築いた五斗米道について考え・・・
幽州の反乱「張純の乱」とは。公孫瓚の台頭と劉虞との確執
公孫瓚(こうそんさん)を群雄の1人に押し上げるきっかけとなった幽州の反乱「張純(ちょうじゅん)の乱」と、これが原因となって生じた公孫瓚(こうそんさん)と劉虞(りゅうぐ)の確執について見てみましょう。
黄巾の乱の影に隠れて目立たない涼州の反乱「辺章・韓遂の乱」とは
『三国志演義』では漢の忠臣として登場する馬騰(ばとう)とその義兄弟・韓遂(かんすい)ですが、正史ではたびたび反乱を起こしています。 黄巾の乱の影に隠れて語られることが少ない「辺章(へんしょう)・韓遂(かんすい)の乱」をご・・・
やっぱり無鉄砲!?戦いに明け暮れた孫堅の青年期
黄巾の乱では1部隊長に過ぎなかった孫堅(そんけん)は、反董卓連合軍に参加する時にはすでに長沙太守(ちょうさたいしゅ)になっています。 『三国志演義』では分からない、孫堅(そんけん)の幼少期から青年期をみてみましょう。