正史『三国志』、『三国志演義』に登場する人物たちの略歴、個別の詳細記事、関連記事をご案内する【三国志人物伝】の「い」から始まる人物の一覧③呉郡韋氏(韋曜・韋隆)です。
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系図
凡例
後漢〜三国時代にかけての人物は深緑の枠、それ以外の時代の人物で正史『三国志』に名前が登場する人物はオレンジの枠、『三国志演義』にのみ登場する架空の人物は水色の枠で表しています。
呉郡韋氏系図
呉郡韋氏系図
この記事では呉郡韋氏の人物、
についてまとめています。
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い③(呉郡韋氏)
第1世代(韋曜)
韋曜・弘嗣(韋昭)
建安9年(204年)〜鳳皇2年(273年)没。揚州・呉郡・雲陽県(曲阿県)の人。本名は韋昭*1。子は韋隆。孫権、孫亮、孫休、孫皓に仕えた。
若い頃から学問を好み、立派な文章を書くことができた。
丞相府の掾(属官)から西安令、尚書郎を経て太子中庶子に昇進。太子の孫和に仕えて『博奕論』を著すが、孫和が廃嫡されると黄門侍郎となった。
孫亮が即位すると太史令となり、華覈、薛瑩の協力を得て『呉書』を編纂し、孫休が帝位に即くと、中書郎・博士祭酒に任命されて多くの書物の校定にあたる。
孫皓の寵愛を受けて高陵亭侯・侍中・左国史に任命されたが、孫皓の「『呉書』の中に父・孫和の本紀を立てたい」という願いを断ったことから次第に疎まれるようになり、宴会の席で怒りを買って投獄・誅殺された。享年70歳。『呉書』を完成させることはできなかった。
脚注
*1『呉書』韋曜伝の裴松之注に「史官が晋の文帝(司馬昭)の諱を避けて書き更えた」とあるが、他に昭を諱に持つ者が書き更えられていないことから、この説は疑わしい。
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