正史『三国志』、『三国志演義』に登場する人物たちの略歴、個別の詳細記事、関連記事をご案内する【三国志人物伝】の「え」から始まる人物の一覧⑭、広陵袁氏[袁綏・袁迪・袁暐(袁曄)]です。
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系図
凡例
後漢〜三国時代にかけての人物は深緑の枠、それ以外の時代の人物で正史『三国志』に名前が登場する人物はオレンジの枠、『三国志演義』にのみ登場する架空の人物は水色の枠で表しています。
広陵袁氏系図
広陵袁氏系図
この記事では広陵袁氏の人物、
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え⑭(広陵袁氏)
第1世代
袁綏
生没年不詳。徐州・広陵郡の人。袁迪の父。
初平元年(190年)、広陵太守の張超が董卓の討伐に向かった時に、広陵郡の統治を預かった。
その後、朝廷に入り太傅の掾(属官)となる。
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第2世代
袁迪
生没年不詳。徐州・広陵郡の人。父は袁綏。孫に袁暐(袁曄)。
戦乱を避けて張紘らと共に長江を渡り、江東に移住した。後ろ楯もなく貧しい境遇にありながら、
- 豫州(予州)・陳国出身の陳融
- 兗州・陳留郡出身の濮陽逸
- 豫州(予州)・沛国出身の蔣纂
らと共に陸遜の弟・陸瑁を頼って苦楽を共にし、志だけはしっかりと守り通した。
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第4世代
袁暐・思光(袁曄)
生没年不詳。張紘らとともに長江を渡った袁迪の孫。
『献帝春秋』の撰者。『献帝春秋』は隋志によれば10巻。ただし、隋志・旧唐志・新唐志などでは作者を袁曄としている。
正史『三国志』に注を付した裴松之は『山陽公載記』の作者・楽資と共に、
「結局どんな人物なのか分からぬが、その説の是非を識別する能力もなしに軽々しく筆を弄び、いい加減な異端の説を作ってその著書を流行らせたのである。このような類のものは正に人の視聴を欺き、後世の人々を惑わせ誤らせるに充分である。まことに史書における罪人であり、学問に熟達した人々なら問題としない書物である」
と彼を酷評している。
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