初平(しょへい)2年(191年)、青州(せいしゅう)黄巾(こうきん)は冀州(きしゅう)・勃海郡(ぼっかいぐん)に侵攻して公孫瓚(こうそんさん)に撃ち破られましたが、捕虜となった一部の兵を除いて公孫瓚(こうそんさん)に降伏・・・
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青州黄巾の兗州侵攻。兗州牧となった曹操と青州兵
初平(しょへい)3年(192年)4月に起こった青州(せいしゅう)黄巾(こうきん)の兗州(えんしゅう)侵攻と、兗州牧(えんしゅうぼく)となった曹操(そうそう)が取り込んだ青州兵(せいしゅうへい)についてまとめています。
曹操が黒山賊を討って東郡太守となる。黒山賊と於夫羅の反乱
袁紹(えんしょう)が冀州(きしゅう)を手に入れると、曹操(そうそう)も拠(よ)って立つ地盤を手に入れたいと思うようになりました。 そんな時、兗州(えんしゅう)・東郡(とうぐん)に黒山賊が侵攻を開始します。
どれが真実!?実は3通りあった曹操の「呂伯奢一家惨殺事件」
誤解から恩人である呂伯奢(りょはくしゃ)の一家を惨殺した曹操(そうそう)の「呂伯奢(りょはくしゃ)一家惨殺事件」には、3通りの記録があるのをご存知でしょうか。 3通りの記録ができた経緯と、「呂伯奢(りょはくしゃ)一家惨殺・・・
結構良い人?曹嵩、曹騰、曹萌(曹節)、曹操の家系3代を大解剖!
曹操(そうそう)の家系をたどってみると、祖父・曹騰(そうとう)は宦官、父・曹嵩(そうすう)は売官で太尉(たいい)の位を得るなど、相当アクドイことをしてきた印象を受けますよね。ですが実際調べてみると、そうでもなさそうなので・・・
正義感に燃える曹操の葛藤と挫折に悩む青年期
『三国志演義』での曹操(そうそう)の初登場は黄巾の乱の討伐の時で、すでに騎都尉(きとい)として一軍を率いる立場になっていました。 『三国志演義』では分からない、曹操(そうそう)の幼少期から青年期をみてみましょう。